読者から、「々」を国語辞典の見出しにして欲しいという要望をいただいた。たいへんな難題でいまだにどうしたものか悩んでいる。というのも「々」には読みが無いからである。国語辞典は読みさえあれば見出しとして載せられるのだが……。
 「々」は、ワープロソフトなどではふつう「どう」「おなじ」「くりかえし」「おどりじ」と入力すると変換できるのだが、これらは読みや音ではない。また片仮名の「ノ」と「マ」に分解できることから、「ノマ(点)」などと呼ばれることもあるが、これなどは変換もできないのである。
 ではこの「々」は何かというと、漢字ではなく符号なのである。従って漢和辞典では載せていないものも多い。載せたとしても読みが無いのだから音訓索引からは引けない。総画索引からしか探せないのである。
 「々」のようなくりかえしの符号は、「踊り字」「畳字(じょうじ)」などと呼ばれているので、国語辞典ではふつうそれらを見出しにして、他の「ゝ」「〱(くの字点)」などとあわせて紹介することが多い。
 この「々」という符号は、漢籍で使われた「二の字点(二の字点)」が日本に入って変化したものとも、漢字「同」の異体字「仝」の変化したものともいわれている。二の字点は漢籍では同じ漢字を繰り返す際に漢字の「二」の字が使われていて、そのくずし字に由来する。ただ「仝」の字は「々」とは違い、「おなじ」「ドウ」という読みをもつれっきとした漢字である。
 「仝」は国語辞典の見出しにすることは可能でも、「々」はやはり難しいのである。

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 昨年定年を迎えた辞典編集部の先輩と久しぶりに会ったとき、いきなり下記のようなクイズを出された。
 「蛇に○○まれた蛙」の○○に入る平仮名2文字は何? 
 何を今更と思いながら、「そんなのニラでしょ、にらまれた蛙に決まっているじゃないですか」と答えたところ、「ブッブー」とやられてしまった。「そうか、君もそう思い込んでいるんだね。自分が編集した辞典をよく見てごらん」と言われたので、いささかムッとしながら『日国』を引いてみた。すると、見出し語の形は「蛇に見込まれた蛙」になっているではないか。
 そんなバカなと思いつつ、『大辞泉』『広辞苑』『大辞林』の最新版も引いてみた。するとすべて「見込まれた蛙」なのである。
 狐につままれたような気分で、いろいろ調べてみると、どうやら「蛇に見込まれた蛙」の方が本来の形で、「蛇ににらまれた蛙」は比較的新しい言い方であるということがわかった。「見込む」は現在では、「臨時の収入を見込む」のように予想するという意味や、「君を見込んで頼むよ」のように当てにするという意味で使われることが多いのだが、本来はじっと見る、見つめるの意味で、蛙は蛇にじっと見つめられて身動きが取れなくなっているのである。
 どうやらこの見つめるの意味の「見込む」が現代語として一般的でなくなってきたために、同義語の「にらむ」を使うことが多くなったらしい。
 最近のことわざ辞典も「蛇ににらまれた蛙」の方が主流になりつつある。筆者が担当した小学生向けの国語辞典も「蛇ににらまれた蛙」の形である。知らずに時代の趨勢に従ってしまったような気もしないではないが、決まり文句であることわざも変化するのだという、いい勉強をさせてもらった。

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 読者から、子どもが通う学校から配布された手紙に、
 「マナーの悪さには目を見張るものがある」
 とあったが、「目を見張る」ということばの使い方としてこれは正しいのだろうかという質問を受けた。その方が言うには、「目を見張る」は、驚きの中でも、主に、感心したり、感動したりしたときに使うイメージなので、上記のように批判的な言い方で使うのは違和感があると言うのである。
 「目を見張る」自体は、驚いて目を見開くというそのままの意味なので、感心したり、感動したりというときだけでなく、怒ったりあきれたりするときにも使うことができる。従って、たとえば「あまりのマナーの悪さに目を見張る」という言い方も可能である。
 ではこの場合、何が問題かと言うと、「目を見張るものがある」という言い方にあると思われる。「目を見張るものがある」と後に“ものがある”が付いただけで、「子どもの成長には目を見張るものがある」のように、肯定的な驚きに用いることが多くなり、否定的な文脈では使われなくなるのである。
 質問者が違和感をもったのはおそらくその点であり、くだんの学校通信は「マナーの悪さには目を覆いたくなる」などとすべきだったのではないだろうか。
 それにしてもちょっとした使い方の違いで、相手に「あれ、どこか変では?」と思わせてしまうのだから、日本語は本当に難しい。

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 落語が好きで、時折寄席や落語会に通っている。
 落語はいつもそうだというわけではないのだが、落語家が高座に上がると枕(まくら)と呼ばれる短い話をしたあと、落語に入っていくことが多い。そしてその枕で「熊さん八っつぁん、横丁のご隠居さんなんてぇのが出てきますと、落語の方は幕開きでございまして」などと言うことがある。聞く側はそれで、アアお馴染みのそそっかしくてけんかっ早い江戸っ子と、物知りなご隠居さんとの掛け合いの落語が始まるのだなということがわかるわけである。
 だが、最近この「幕開き」を「幕開け」と言っている若手の落語家がいることに気がついた。
 「幕開き」は本来は芝居用語で、舞台の演技が始まることを言う。舞台の幕が開いて芝居が始まるところから、そのものずばりで「幕開き」となったわけである。やがてこれが転じて、一般に物事が始まることも言うようになる。しかもこのような場合には「幕開け」という言い方も生じたのである。これは「年明け」「夜明け」などの影響や、「幕を開ける」とも言えるところから生じた言い方かと思われる。
 しかし、NHKや新聞なども、芝居用語としては「幕開き」を使うべきであるとしているように、「幕開け」を芝居用語として使うのは正しい使い方とは言えない。「幕開け」を使うのは、物事が始まるという一般的な意味のときだけにとどめるべきであろう。
 落語は芝居的要素の濃いものであるのだから、やはり「幕開き」を使ってほしいと思うのである。

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 スズランの異名をご存じだろうか? 筆者も知らなかったのだが、「きみかげそう」というらしい。漢字で書くと「君影草」。
 その名を知ったのは、ある読者からのお手紙であった。その方は亡くなられた奥様の追悼文集を執筆なさっていて、文中で奥様のことを、奥様が愛したスズランの異名「君影草」と呼びたいとお考えになったらしい。そしてその呼び名の根拠として、『日本国語大辞典』でも引用している植物学者松村任三が編纂した『日本植物名彙』(1884年刊)の用例の該当個所を教えてもらえないだろうか、というお便りをいただいたのである。
 「君影草」なんていい名だな、と思いながら早速編集部にある『日本植物名彙』を見て、はたと困惑してしまった。辞典では引用していない部分にローマ字で「kimikakesō」とあるではないか。つまり、「キミカゲソウ」ではなく、「キミカケソウ」だった可能性がでてきたのだ。 
 辞典の内容に関わることなので、いろいろと調べてみることにした。すると、「キミカケソウ」の古い例は『草木弄葩抄(そうもくろうはしょう)』(1735刊)で、これには「君かけ草」とある。漢字で書くと「君懸(掛)草」であろうか。
 また「キミカゲソウ」は、確認できたのは『稿本草木図説』(1845~65頃)が最も古い例であった。
 江戸時代の文献は清音濁音の区別を付けないものがあるので、「キミカケ」になっていても「キミカゲ」の可能性も十分あるのだが、『日本植物名彙』のローマ字表記を見る限り、かなり早い時期から「キミカケ」「キミカゲ」両用あったことが判明した。
 「君影草」と「君懸(掛)草」。清濁の違いはあるが、どちらもきれいな名である。
 その後、その読者からは、いまだに奥様に“懸想”しているので、「君懸草」としたいというお手紙をいただいた。
 『日本国語大辞典』の語釈にも少し手を加えなければならない。

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